ヒトミちゃんの宇宙研究所

アカシックリーダーヒトミちゃんの宇宙のことばかり書くブログ。

「私の気持ちなんて誰にも分かってもらえないんだ。」って、幼稚で可愛い愛おしい。



今日は石徹白で展示会に向けての作業でした♪

平野さんの坊や まーくん!可愛すぎていつも癒されます。

いつもありがとうまーくん。



今日は、何故だか



自分は誰にも理解されない わかってもらえない

ということについての文章をよく見る日だったので記事にしてみることにしました。

「私は誰にも分かってもらえない」「友達なんかいない」

なんて思っていた時期がありました。



そしたらある記事に

「分かってもらえないと思うのは依存だ」と書いてありました。

人の評価と自分の評価をイコールにしてる。って。

自分が自分を評価して受け入れていれば、それがなくてもむしろ気にならない。

自分の評価と他人の評価を別物として分けて捉えることができていないと、

他人の評価をコントロールしようとする。それが依存。

(っていうことを書いていたんだと思う。多分)

人に分かってもらうことでしか自分の価値を証明できないなら

自分の価値や創造は全てが他人軸。だものね。





更に、

本郷ソミさんがこんな記事を書いていました↓↓

以下引用です。

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「自分は理解されない」 「わかってもらえない」

という思い込みが長年あった。

本当に自分を見てもらえることなど決してなく、 気持ちは伝わらず、 正しい評価を受けることはない。」

どんなに人が認めてくれても、 話を聞いてくれても、 それが私にとっての強烈なまでのリアリティだと 感じていた。

その頃の私は黙って孤独を選び、 密かにその物語を愛した。

そうして心を閉ざすことでわかってくれない誰かを、 悪者にしては加害者にし、 自分は無垢な被害者だと内心信じていた。

なんと云う幼稚さ! なんと云うナルシシズム!

それは部屋の隅に座り ドアに背を向けては鍵をかけ、 上目遣いに上半身だけ少し振り返り 見えない何かに中指を立てているようなイメージで、

そこには崩れ落ちそうなほどの悲しみの下に 強烈な怒りと憎しみが押込められていた。

「幸せになどなってやるもんか!」

当時は言語化されていなかった感覚を 言葉にするとそんな感じだと思う。

そのことで私は、 父や、父なるもの(神)に復讐したかったのだ、 という比喩が後にしっくりすることになる。

苦しむことで復讐する、という、 わけのわからないことで!

その頃の私をここから眺めてみると、

「あ〜、大変そうだなあ」笑

「がんばってたね〜」

と愛おしい。

「愛され、認められ、理解される」

ということが当たり前だ、

という世界がこの世に存在するなんて知らずに、 記憶を元に習慣化されたにすぎない ねじ曲がった思考と感情の体験を、現実だと思っていたなんて!

いや!

いつだって、

「愛されていて、認められていて、理解されている」

ということが本当だと云うことから、 眠っていただけだったんだ。

それはまあ癒されたから起きたこと、 に思えるけれど、

たった今焦点を変えることで、 目覚められること、

という方がより本当だ。

「愛されていいんだよ。認められていいんだよ。理解されていいんだよ」

と私はあなたがそれに許可を出すことをお手伝いすることがある。

またはそれら外から絶望的に欲しがりながらも、 拒絶しているものを、 何より自分に与えてあげることで、 外からのそれを感じられる体質になる。

するとね、見えてくるんだ。

「愛されていたね、いつだって。認められていたね、理解されていたね」

ということが。

ハートが開いて感謝が溢れ出す。

やがてそれが普通になる。

それは感謝がなくなる、ということではない。

当然の権利、当然そこにあるものとして、 感謝があなたの腕を通して(比喩)表現されながら生きるようになる、 ということ。

あなたが上目遣いに見ていたところには、 天国への階段が顕れ、 両手を広げてあなたを招き入れる聖なる存在が見える。

もう部屋の鍵は開いてしまった。

あなたは振り返っては立ち上がり、 それを受け入れる。

抱かれた後訪れた平穏とよろこびの中で、 あなたは同じ両手を、 他の誰かを抱くために使う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今の私は「分かってもらえない」なんて言いません。

でも何となく、

「誰にも自分は分かってもらえないんだ」

というのは、1つのやってみたい青春だったのかもしれないなんて思います。

深く深く思い悩んで。心底心細くて。お風呂で1人泣いたりしていたけれど

どこか、自分でそんなような物語を作っている自分にもうすらうすら気づいていたような。

気づかないようにしていたような。

そして、「分かってもらえない」と思わないと物を作れないんじゃないか

新たな物を生み出す資格が無いんじゃないか

自分には、その天才性みたいなのがないんじゃないか

皆が理解しているなんてつまらないんじゃないかって(それはある)



この考え方は、美大生とか服飾の学生に多かったように思います。

今思うと、この「分かってもらえない」という感覚は1つのテンプレートのように

はびこっていたようにも感じられます。

イレギュラーなようで、よくあるパターンだったような

人がよく陥る感覚なのか。

自分の感覚は自分にしかないのだから面白いのにね。



昔、ある人に

「私の価値は私が決める」って言ったら

「違うよ、君の評価は他人が決めるんだよ。他人しか決められないんだよ。分かる?」

って言われたの思い出した。

そして、私はそれが本当な気がした。



でも、「分かってもらえない」と思って本気で寂しくて不安で泣いてた

自分を今思い出すと愛おしくてしょうがないです。

あぁ、可愛いわたし。

ラブ。

(あ、結局そみさんの文章と同じ所に辿り着いた)



今の私の感覚は私が絶対的に理解しています。

だから安心してお好きなことやりなさい。

と、自分に言い聞かせて寝る。





ステンポルトでの展示会に向けて、どんどん新作が工場さんから届いております♪

もうめっちゃ素敵だよ〜!

どれもかっこよくてキュンキュンします!!

みなさま!楽しみにしててね!





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